カラーバス効果という言葉をご存知でしょうか?
カラーバス効果とは、ある一つのことを意識することで、それに関する情報が無意識に自分の手元にたくさん集まるようになる現象のことをいいます。
カラーバス = 「color(色)」を「bath(浴びる)」
これは、色の認知に由来しているのですが、色に限らず、言葉やイメージ、モノなど、意識するあらゆる事象に対して起きるといわれています。
まさしく、これと同様の現象が私の身の回りに起きました。
最近のブログに投稿した現代美術家のカズ・ヒロさんのことです。
ブログを記してからしばらくして、テレビの番組表を見ている時に、彼の活躍を特集した2時間程のテレビ番組が再放送されることに気付いたのです。
「よみがえるオードリー・ヘップバーン 顔に魅せられた男 カズ・ヒロ」
それは、永遠の妖精と称された名女優オードリー・ヘップバーンを特殊メイクで培った技術を応用して、本物そっくりな顔を創作する過程に密着するというもの。
これは、引き寄せの法則と言い換えても良いでしょう。
録画をほぼ2回試聴するほど本当に見応えのある価値ある学びの多い番組でした。
私の好きなゲイリー・オールドマンをはじめ、シャーリーズ・セロン、ジョセフ・ゴードン=レヴィットなどの豪華俳優陣が彼の真の凄さを語るところは、彼を理解する上で、重要なポイントになるのですが、私はもっと別のところにフォーカスしました。
果たして何故、こんなに徹底的に緻密な顔の再現に拘り続けることができるのか。
そのヒントが幼少期にあることが明らかにされます。
実は、父親がアルコール中毒で、両親が離婚してしまうという、多感な子供の頃の辛い体験が彼にはあるのです。
当日、京都の錦市場で住んでいたといいます。
私のように京都に住んでいる人なら、よく知っている場所です。
錦市場の中を歩けばわかるのですが、道幅も狭く、店舗同士の距離が近く、ひしめき合っています。
必然的に近隣とは仲良くする必要に迫られます。
お互いに気を使うことが多くなるのです。
そして、付き合いが長くなると、お互いの気に入らないところが露わになってきます。
すると、次第に他人を陰で悪く言う者も出てくるのです。
巷ではよく、「京都人は裏表が激しいよね。」などといわることがあります。
この腹黒い、イケズの文化は、“応仁の乱”で生き抜くための当時の住人のDNAのせいともいわれています!?
それはさておき、カズ・ヒロさんは、子供の頃にこうした場面を度々目にすることになるのでした。
あっちでは、ニコニコ楽しそうに話をしているのに、相手がいなくなると、手のひらを返したように相手を批判したりするのです。
彼はその光景を目の当たりにして、面を食らいます。
人間って思っていることと顔の表情がこんなに一致しないんだと、素直に思ったそうです。
そんな経験を繰り返していくうちに、彼は人の顔にフォーカスしていくことになります。
“この人が言っていることは、本心なのだろうか?”
“口ではこう言っているが,他に違う意図があるのかもしれない。”
そんなことを自然と考えるようになっていったといいます。
私は、彼が顔にとことん執着する原点はこれではないか、と感じざるを得ません。
そして、彼が顔の中で“最もこだわるパーツは目”だというのです。
毛細血管は、赤や青のスプレーを重層的に吹き付けることで表現されますし,うぶ毛も角度や位置などにトコトンこだわり、一本一本植えられます。
そうしたこだわりを凌駕するほど、目が最も大切であるというのは、どういった意味があるのでしょうか?
「目は口ほどに物を言う」
目にこだわる理由も、この京都人特有の二面性の体験が影響しているのではないかと思います。
目の力は強力であり、目が1mmでもずれると思っていることが表現できないというのです。
こうした一切の妥協をしないこだわりが、顔の模型に魂を吹き込むのです。
彼は別のメディアで、次のようなことを語っています。
・日本人は、日本人ということにこだわりすぎて、個人のアイデンティティが確立していない。
・だからなかなか進歩しない。そこから抜け出せない。
・一番大事なのは、個人としてどんな存在なのかである。
・自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、何を言われようとも突き進むこと。
・社会でどう受け入れられるか、どう見られているかばかり気にして、そこから動けなくなっている人が多いのではないか。
日本人だからどうとか、日本人らしいとか、何かに属していること、共通点のようなものを見つけグループ分けすることなどは、大切なことではないというのです。
こうした考えを持っている彼は、自分のアイデンティティを何よりも優先したいということで、日本人を捨て、米国に帰化をして、“カズ・ヒロ”と改名しました。
特殊メイクアップアーティストとして頭角を現す前の彼は、彼の個性的な信念を貫こうとして、職場の中でも軋轢を生んだそうです。
しかし、それでも自分の貫きたいものには一切妥協を許さなかったのです。
全ての人がこのような生き方を出来るものではないと思います。
しかし、自分が抱えている全てものの内、ほんのわずかなことでもよいので、どうしても譲ることができない大切なものを持つことは、充実した人生を送ることにつながるように思えてなりません。
「周りのために人生を生きているのではない、自分の人生をどう生きるのかが大事なことである。」
この彼の言葉に、大いなる勇気とゆるぎない意志の力を感じるのです。