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第136号 情報が早く、しかも大量に流れる時代だからこそ、自分のスピードを緩め、立ち止まり、そして自分の頭で考える

 

最近、仕事の関係でいくつかの大学を訪れる機会が増えてきました。

 

先日も、実家に近い大学を訪れた際に、ふと1枚のポスターが目に留まりました。

 

そこには見たことのある人が写っています。

 

そうです、池上彰さんです。

 

池上さんが、その大学に来て、宗教から世界を考えるという講演をされるというのです。

 

池上さん、大学の教員、テレビ出演等で多忙なはずなのに、凄いタフな方だなと本当に感心します。

 

オンラインとリアルで実施とのことですが、もちろん、その大学生しか視聴できません。

 

「私もできれば参加したい・・・」と、心でつぶやいていました。

 

 

それはさておき、その大学に来るまでの道中で気付いた小さな学びについて、ご紹介したいと思います。

 

最初の大学で仕事を終え、そこから次の大学までバスで移動しました。

 

そして、大学の近くのバス停で降りたつもりでしたが、1つ手前の停留所だったらしく、結構な距離を歩くことになってしまったのです。

 

実は、その歩く道は、私の実家の近くということもあって、何百回と車で通った道だったのです。

 

よく通る道だし、少し面倒だなと思いつつも、アポイントの時間まで少し余裕もあることから、散歩気分で周囲を見渡しながら、ゆっくりと大学に向かうことにしたのです。

 

 

すると、何度も通っている道なのに、「あれっ、こんな豪邸いつからあった?」とか「なんだこの古びたサビだらけのビルは!」などとつぶやいているのです。

 

その豪邸は、最初目にした時、美術館かなと思ってまじまじと眺めたのですが、個人名の表札があったので、ただただ驚くばかりだったのです。

 

そして、そこから歩いてすぐのところに、古びたビルもある。

 

いったいこれは何十年もこの場所にあったのだろうか、何故気付かなかったんだろうと、不思議な気分になったのです。

 

 

何を言いたいのかというと、何百回と通過している道なのに、自分にとってインパクトのあることに全く気付いてもいなかったという事実があったのです。

 

おそらく車で一瞬に通過しているから何も目に映らなかったのでしょう。

 

また、他にいろんなことを考えながら運転しているから何も感じ取れていなかったということでしょう。

 

当たり前の話をしているのかもしれませんが、私にとっては小さくて、大きな気づきを与えてくれる出来事でした。

 

現代は、スピードが速く、その上情報量がとてつもなく多く、自分にとって大切なことが流されてしまいやすく、また埋もれてしまいやすいと感じています。

 

以前、読んだ本で、「情報量が多くなればなるほど、人間は考えなくなる。」という言葉を思い出しました。

 

 

教養としての投資  奥野一成著

 

 

・情報の付き合い方は、大量の情報を“インプットする”よりも“考える”ことの方が大切である。

 

・考えることの総量は、流れている情報の総量に反比例する。

 

・情報を鵜呑みにする人が多いのは、情報量が多すぎて、自分の頭で考えようとしなくなっているから。

 

 

何か上手くいかないと自覚しているなら、一度スピードを緩めて、周囲を見渡すと今まで気付くことのなかった大きな発見があるかもしれません。

 

また、その発見が重要かどうかは別として、その事実を自分の頭で考えるということが、大切なことかもしれない、そんなことを歩きながら感じていたのです。