第112号 野村克也さんの人材育成論から思い出されたリーダーの真髄

 

先週、元プロ野球選手、監督の野村克也さんがお亡くなりになられました。

 

私は野球通ではありません。

 

野村さんといえば、名捕手であったこと、データを駆使したID野球とボヤキ節が特徴の監督ということくらいしか知りません。

 

しかし、ここ何日かテレビや雑誌などのメディアによって、野村さんが選手の育成についてずば抜けたセンスを持っておられたことがわかったのです。

 

私もリーダー研修を企画している関係もあって、人材育成の持論について多くの共感や学びを得ることができましたので、いくつかご紹介したいと思います。

 

 

少し前に行われた日経ビジネスのインタビューの中で、編集長が野村さんに次のような問い掛けをされました。

 

野村さんは、戦力外の選手を再生することが得意で「野村再生工場」と呼ばれるほどでしたよね。

 

それに対して野村さんは、選手を育てるとは、“自信を育てること”だと言われます。

 

何らかの理由で自信を失う選手はいる、どうすれば選手を生き返らせることができるか、いつもそれを考えていた。

 

「野村再生工場」の本質とは“自信の回復”であると。

 

 

会社でいえば組織に常にスタープレーヤーがいるわけではない、その中でも成果を挙げるチームを作るにはどのようにすればよいのでしょうか? と野村さんに問われます。

 

すると野村さんは次のように言われます。

 

それは、“意識改革”である。

 

手持ちの駒で戦うのが監督の仕事、戦力に乏しいチームばかり率いてきたが、それでも結果を残せたのは、選手に考えることを求め、選手がそれにしっかりと答えてくれたから。

 

プロ野球に入る選手は、学生時代はみんなエースで4番であるが、プロになれば同じようにはいかない。

 

だからその時に、自分の生きる道をどう見出すか、自分の役割を自分で考える必要がある。

 

指導者の役割は、その手助けをすることだと。

 

 

また、これとは別にNHKのクローズアップ現代でも野村さんの死を悼んで追悼番組が放送されていました。

 

その中から印象的な言葉をご紹介します。

 

4球団の監督を務め、たどり着いた言葉、それが、“財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする”であったと言われます。

 

財産を築いたり、仕事で成果をあげることよりも、人を育てることが大切であり、なによりも価値があることである。

 

人材育成とは“見つける”、“育てる”、“活かす”ことである。

 

例えば、阪神タイガースで肩の強さが売りの新庄選手にピッチャー挑戦を指示したのは、自分の素質と可能性に気付いて欲しいとの願いからであった。

 

人は持って生まれたものがなにかあるはず、それを発揮したらいい。

 

それを見抜いて可能性を引き出す、これも監督の仕事なんだと。

 

 

こうした言葉を聞くと、どうしても私は、お世話になった1人の上司を思い出します。

 

その方は、振り返れば、間違いなくこれまで出会った唯一無二のリーダーであったと思います。

 

私が教育分野に興味があったからかもしれませんが、以前仕事中にこのような問い掛けを私にしてこられました。

 

 

「○○(私)さん、リーダーが一番しなくてはならないことは何だと思う?」

 

「・・・」

 

「人材育成ですか?」

 

「そう、人を育てることや!!」

 

 

果たして仕事人生において、こうした問い掛けをされる上司に何人の方が出会えるでしょうか。

 

その方は、学生時代も社会人になってからも、これまで多くの苦労をして今の地位を築き上げられています。

 

実は、この方の“意識”や“行動”がご紹介した野村さんの人材育成論といくつも重なるのです。

 

 

・花を育てるように粘り強く部下を育成されていたこと

 

・これまでの組織が作り上げた悪しき文化を打ち破ろうと挑戦を続けられていたこと

 

・自信を失っている、やる気をなくしている部下へ、自らの可能性に気づきを与えられたこと

 

・部下の能力がどこで一番発揮できるか見極め、果敢にチャレンジするよう促し、輝ける場所を用意しておられたこと

 

 

もし、会社人生で学んだあなたの財産をひとつ挙げよと問われたら、私はこう答えます。

 

「リーダーとは“あり方”であり、“自分の言葉で伝える存在”であるということ」

 

 

どんな組織でも、率いるメンバーが多くなればなるほど、不満を言う人、体制に反対する人が現れやすくなります。

 

特に古参の社員が多く、旧体制から脱却を図ろうとした時、その傾向は強まります。

 

気の弱いリーダーは、みんなに嫌われないように、大衆迎合的な態度をとり、当初掲げた理念を横に置いてしまい、結果として大勢から信頼を失うことになりがちです。

 

 

しかし、この方は違いました。

 

周囲の話は聞く耳を持つ、また柔軟に対応する。

 

そして場合によっては、当初決めていた内容も変更する。

 

しかし自分の軸だけは変えない。

 

多少の反発を受けても、そこだけは貫き通すという信念をもってリーダーとして行動されていました。

 

 

ある時メンバーの一人から、その上司に対してこんな意見が出ました。

 

「○○さん(上司)は、メンバーに“寄り添う”ということを全くされないですよね。」

 

端的に言えば、○○さん(上司)は冷たいリーダーであるという声があったということです。

 

するとその方は私にこんな風に言われました。

 

「“寄り添う”という意味は、相手が言うこと全てに対して、そうだね、そうだねと安易に同調することではない。」

 

「“寄り添う”とは相手が成長を促すものでなくてはならない。」

 

その時直接口に出しませんでしたが、実はこの発言に私は軽い衝撃を覚えたのです。

 

なぜなら、一般的には相手の気持ちに共感して、自分の気持ちと相手の気持ちをシンクロさせるような定義であると理解していたからです。

 

しかしながら、相手が大きな勘違いをしているかもしれない、怒りで冷静に判断できていないかもしれない、単に自分の利益のために相手を非難したいだけなのかもしれない。

 

そうしたことに対して、同調することが果たして相手にとって望ましい事なのだろうか?

 

そう考えた時、ハッとしたのです。

 

何が正解かは別として、ある言葉を自分の言葉に置き換えてブレずに相手に伝えることができる、それがリーダーではないかと。

 

 

「言葉は自分で定義する。」

 

 

その方の強い精神に倣って、私もこれからの人生で実践していこう、そう決意を新たにしたのです。