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第91号 人生が長い人ほど、話す内容に意識をしなければならない

 

年末年始は、いろんな人や場所で、食べたり、飲んだりする機会が増えます。

 

数年に1回程度の昔の友人、年1回くらいのペースで会食する職場の人、数か月に1度の親戚の人。

 

そうした人と話をしていて、先日ふと気付いたことがあります。

 

”もっと話を聞いてみたいと思う人”と”もうこれ以上はいいかなと思ってしまう人”との違いについてです。

 

 

 

ある日の夜に、会食していた時のことです。

 

その時、”私”と”年下の女性”と”60代後半の男性”の3人でお話ししていました。

 

女性は今の職場環境について、恵まれているところ、改善すべきところを、現状を踏まえ語られます。

 

彼女の勤務先は一般企業とは異なり、20時間連続で勤務することもある職場なので、一緒に働くメンバーと休みやシフト等いろいろ手間がかかることがあるようです。

 

彼女からの話は、人材育成の方法や外国人労働者の受け入れについての問題点など、考えさせられる話がいくつもありました。

 

 

一方、60代後半の男性は、ずいぶん昔に起こった出来事を中学生時代から社会人までにかけて、体育会系クラブで活躍した話や苦労話を中心にお話しされるのです。

 

お年を召されているので、その人には長い歴史があります。

 

従って語ることが沢山あるのです。

 

一つの話が始まると、変遷についての説明がしばらく続くのです。

 

しばらく続いてしまうと、次第に聞いているほうの集中力が切れてきます。

 

ですから、その男性よりも女性と話をするのが面白く感じてしまいました。

 

 

さて、その翌日の夜になるのですが、高校時代の同級生と1年ぶりに会い、居酒屋で3人で飲んでいました。

 

同級生ということもあって、私は単純に楽しいひと時を過ごせたと感じていました。

 

その話題は多岐にわたります。

 

こだわりのシューズ、ゲーム、服装、音楽、旅行、家族、車、社会保険、教育問題・・・

 

 

昨日、今日と話をする中で、”もっと続きを聞きたいという感覚”と、”もう少し別の話題にならないのかという微妙な感覚”になるのは、どうしてかを考えてみました。

 

 

・過去の経験や体験は感情を伴わないと、共感しにくい。

 

・出来事ばかりが次々話題になると冗長に感じてしまう。

 

・興味のある、なしに関わらず、自分の知らない事を優しく丁寧に説明してもらうとその話をよく聞いてみようという意識になる。

 

・自分の取り巻く環境や時代背景、ひいては社会情勢・国際情勢を関連付けた場合は、話が広がり、飽きることが少ない。

 

 

特に高齢の方は、人生経験が長く、話すことが沢山あるため、その人の背景を知らないと、事実だけでは飽きてくるのです。

 

ただし、そこに現代にも通じる教訓などが見え隠れすれば、違った印象になるかもしれません。

 

私の場合でしたが、事実だけでは単なる昔ばなしで終わってしまう傾向が強くなると感じました。

 

 

自分もいずれは高齢者の部類に入ることになります。

 

年上の方に向かって、「その話、あまり面白くありませんね。」とは中々言えません。

 

自分で察するしかないのです。

 

自戒を込めて思った次第です。