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第87号 事実は存在しない、あるのは解釈だけである

 

本日はクリスマス。

 

小さなお子さんがいる家庭は、サンタさんのプレゼントを用意するのに、ご苦労されていたのではないでしょうか。

 

かく言う我が家も小学4年生になる息子がいますので、サンタさんに自分が欲しいものを手紙に書きなさいと促していたりしていました。

 

我が家にはニンテンドー・スイッチがあることから、彼が今年選択したのは、マリオパーティーというソフトでした。

 

クリスマスが近づいて来ると、こんなことを言い始めます。

 

「今年こそは、前日睡眠をたっぷりとって、運んでくれるサンタさんの正体を突き止める。」

 

「もし手紙に書いてあった商品と違ったなら、中古品として売りに行くから。」

 

結局のところ、フツーに寝てしまうのです。

 

いつもなら、7時になっても自分から起きることのできない寝坊助なんです。

 

しかし、意識の中にサンタのプレゼントがあるとその日だけは行動が変容します。

 

5時頃にゴソゴソする音が聞こえたかなと思うと、寝ている私の部屋に来て、「あったー!」とプレゼントを見せに来るのです。

 

ついさっきも、このブログを書いている私のところにも来ました。

 

自分の望んだものを手に入れることが出来て、満足しているのでしょう。

 

「サンタさん、来た、来た。」と満面の笑みでハグをしてくるのです。

 

正体を突き止めるは、どこに消えてしまったのでしょうか。

 

随分前ですが、たまたまネット上で、サンタがいる・いないの模範解答とも呼べるものをYahoo知恵袋で見つけました。

 

 

コレです。

 

 

これの素敵なところは、サンタはいるとした上で、その役割をいろんな人で分け合っているという考え方、解釈です。

 

実は私はこれを数か月前、食事時に家族全員の前で読み上げているのです。

 

一様にふーんといった反応でした。

 

一番下の息子は理解力に乏しいこともあって、わかったような、わかっていない状態だと思われます。

 

一方、中学生、高校生の息子はサンタの正体はわかっています。

 

これはやさしさの裏返しだと思うのですが、わざわざ三男に向かって、誰が購入したものとは直接伝えることはしません。

 

でも、これを書いていてフッとある考えが頭を過るのです。

 

やはり息子はわかっているけれど、父親・母親に感謝の気持ちを形を変えて言っているのではないかと。

 

私が知っていますある取締役の方には、2人の娘さんがいらっしゃいました。

 

その方が以前、クリスマスプレゼントの話題になった時、驚きの話をしていました。

 

「うちの娘なんて中学生までサンタがいるって信じてたよ。」

 

私は正直この言葉を聞いて、その方には悪いですが、こう思ってしまいました。

 

「親バカも、度が過ぎる。」

 

「娘さんは、お父さんに喜んでもらおうとして、サンタがいてると信じているフリをしているだけなのに・・・」

 

「というか、娘さんの演技(言葉や態度)が凄いのか・・・!?」

 

私の息子も、ひょっとして、これと同じような話ではないのか、何となくそんな気がしたのです。

 

「事実はひとつ、解釈は無限大」という有名な言葉がありますが、私は次のの方がしっくりくるのです。

 

哲学者ニーチェが残した次の言葉。

 

「事実というものは存在しない、あるのは解釈だけである。」

 

現代では、ありとあらゆる情報が玉石混交状態です。

 

一体何がフェイクニュースなんでしょうか。

 

何が事実、何が真実であるかなどわかりません。

 

であるなら、情報を取捨選択し、自分の頭で考えひとつの納得解を導くことは、これからを生き抜く上で、非常に大切な習慣になるのではないでしょうか。

 

〝時と場合によっては、事実はどうでもよくなることがある〝

 

〝大切なのは自分がどう捉えるか〝

 

普段から打算のない行動をする息子から、こんなことを考えさせられたのです。

 

冬休みの今日ぐらい、たっぷりゲームをさせてやってもいいかなと、親バカぶりを発揮しています。