先週大満足したaimerさんのコンサートライブ前に、市立図書館でゆったりとした時間を過ごしていました。
そこで読んでいた日経トレンディという情報雑誌で、教育改革実践家の藤原和博さんの記事を見つけました。
これまで藤原さんの書籍は何冊か読んでいますが、改めてなるほど、この考え方はこれからを生きる上でとても大切なことであると思いましたので、そのことについてお伝えさせていただきます。
これからの時代は「情報処理力」よりも「情報編集力」が必要とされる。
藤原さんがこれまで著書や講演等で常に語られていた言葉です。
「情報処理力」はいわば学校の国語、算数、理科、社会、英語などの基礎学力。
答えは基本的に1つだけ。
一方「情報編集力」は、人口減少社会・資源・環境・紛争などの地域や国家などにおける答えが1つではない問題に対して1つの解を導く力。
藤原さんはこれを「納得解」と表現されます。
私が藤原さんに惹かれる理由は、誤解を恐れずに斬れ味鋭くズバッと発言されることです。
藤原さんが教育の在り方について綺麗事で片付けないところに、多くの方が共感されるのだと思います。
ですから、雑誌のインタビューでのやり取りも、こんな場面があるのです。
インタビュアー「では、記憶がものをいう教科はどうでしょうか。グーグルがあれば、受験勉強は必要ないなんていう人も居ますが」
藤原さん「そういうことを言うやつに限って自分が東大に出てたりするんだよ(笑)」
気持ちがいいじゃないですか。
だから、キングコングの西野亮廣さんと仲良しなんでしょうね(笑)
さて先程の質問には、藤原さんはこう答えられます。
検索しようにもどう検索するのかベースとなる知識が必要。
小学生のうちに学習習慣と生活習慣を身に付けることが大切。
中学生以降はからは、情報処理力から情報編集力へ徐々にシフトしていけばよいと。
藤原さんの凄いのは、中途半端な気持ちで教育改革に取り組まないところです。
その一例が生徒全員がスマホを使って授業を行うという取り組みです。
学校の授業でスマホなんていじっていたら、勉強なんか集中出来ずに逆効果だ、かえって遊んでしまうのでは、という関係者から懸念する声もあったようです。
ですが、実際やってみるとそうではなかった。
日本人は、なかなか授業中に手を挙げて、みんなの前で自分の意見や質問をするということをしません。
しかし、各人から無記名式となるスマホを利用すると、授業の感想や質問は瞬く間に集まるといいます。
自由に意見を言える環境を整えることが、授業に参加しようという意識が高まり、それが教育の質の向上に繋がることを証明されたのです。
大学ではいまだに時代遅れの古いノートを使った授業が行われている。
授業評価できるスマホの仕組みを取り入れ、こうした教師を一掃すべきと藤原さんは言われます。
私が特に印象に残っているところは、先程の「情報処理力」と「情報編集力」の捉え方でした。
今後、ますます「情報処理力」より「情報編集力」が必要とされる時代が来る。
なぜなら、答えが1つのものは、AIが担うからです。
これについては、電車の運行に関わる働き手を例に挙げられます。
人の監視も必要ですが、電車を走らせるのは、ほぼコンピュータです。
しかし、車掌は違います。
乗客間のトラブル、予期せぬ車両の不具合、その時々の状況に応じた判断は、AIには出来ない。
ここに人の価値があるといわれるのです。
この「情報編集力」を鍛えるために、アクティブラーニングは有効な学習方法なんだと思います。
AIにとって代わられない「人としての価値・役割」を改めて考えさせられたのです。