タイトルを見て、私は経営者なんて目指さなくても、自分らしい人生を送れますので、私には関係ありませんと言わないでください。
自営業者でも会社勤めでも、我々は何らかの形で、何処かの経営者と関わる可能性があるはずですから。
週刊ダイヤモンドというビジネス雑誌の中で、稲森和夫さんが経営者の在り方について、深いお話をされていましたので、本日はそのことをご紹介します。
皆さんがこれまで関わったことのある経営者は、どのような方でしたでしょうか。
経営者がご自身の場合もあるかもしれませんね。
・いつも資料の細かいところをチェックする神経質な人だ
・何かにつけ理想と夢をいつも語る人だ
・激高することが多く、常にイライラしている人だ
・信頼しているのか、あまり具体的に指示をしない、放任タイプの人だ
・鉛筆一本から照明をこまめに切ることまで、経費を使うことに過剰に反応される人だ
・トップの号令で、盛大な会社イベントをしたり、福利厚生を充実させたりするが、そんなに儲けていないのに、会社は大丈夫なんだろうか
その経営者の一部しか知らないために、本当の姿が見えていないだけかもしれませんが、この人は素晴らしい経営者だと言い切れる方は中々いないのではないでしょうか。
しかしその前に、どんなことができる人が経営者に相応しいのか、皆さんは自分の言葉で語ることができますか。
経営者ならこういう事が出来る人。
それは単なる組織のリーダーとは違います。
稲盛さんの切り口は、こうです。
経営者は、決断を迫られる時がいくつもある。
例えば、会社に多大な損失を与えた長年の功労者のような従業員の処分についてです。
これまで、何十年と会社の利益に貢献してくれたから、温情を掛けて配置転換や降格で済まそう。
いや、今後も似たような事例が起きた場合を考えると、これでは周囲に対して示しがつかなくなる。
彼には辞めてもらおう。
さらには、こんな事例です。
大型のM&Aを仕掛ける時、将来性や技術力が高いけれども、大きな負債を抱えている企業である場合です。
多少のリスクがあっても、将来の企業の成長を考えた時、ここは千載一遇のチャンスと捉え、買収をする決断をする。
買収後、期待したほど事業収益に直結しない可能性があるし、負債だけ肩代わりすることは非常にリスキーであるから、買収は当面見合わせる。
いずれの場合も正解が何かはやってみないとわかりません。
であれば、トップに要求されるのは、大胆さと慎重さの両方を身に付けていることがマスト条件です。
またこれは、丁度真ん中ぐらいの判断をするといったことではありません。
稲森さんは、これは中庸ということではない、と表現されます。
中庸という言葉の意味をご存知でしょうか。
中庸とは、極端な行き方をせず穏当なこと、偏らず中正なことを意味します。
どっちにもいい顔をするような解決を目指すのではなく、時には非情に、時には温情を持って、また時には大胆に、時には慎重に、といった一見相反する性格を使い分けができるのがトップの器だと言われるのです。
ですから、兼ね備えているだけでは、不十分であり、それを要所で発揮できる事が重要なのです。
ではその決断をする時の拠り所となるのが何かと言えば、そのトップの持つ「人間性」なのです。
この人間性を軸として、温情と冷徹さ、慎重と勇気、緻密さと大胆さ、これらを状況に応じて使い分けることができるのが、トップなのです。
名を馳せた剣豪は、持っている刀を常に振り回し、相手を威嚇していたのではありません。
本当に必要な状況になった時、刀を抜くのです。
そうでなければ、単なる二重人格者です。
稲森さんは、アメリカの作家、F・S・フィッツジェラルドの言葉を引用されます。
「一流の知性とは、二つの相対立する考えを同時に心に抱きながら、しかも正常に機能し続けられる能力をいう」
矛盾する両極端な性格を併せ持ち、それらを矛盾なく正常に出しうる力、これが一流の知性。
矛盾を矛盾のままにしておいたのでは、「ただの人」なのです。
経営者トップはその矛盾を正常に機能させなくてはいけないのです。
これは、稲森さんのお考えです。
さて皆さんなら、経営者トップに何を求められますか?