会社で働く方は、規模の大小はあれど、会社のいずれかの組織に属することになろうかと思います。
その中では、「指示する者」、その指示を受け「遂行する者」に分類されます。
会社の実質のトップにでもならない限り、指示を受け遂行する行為は、誰にでも等しくついて回ります。
どちら側であっても、「指示」という行為に、いろんな想いを持たれている方は多いのではないでしょうか。
例えば、ある上司に対して、部下はこんなことを感じているかもしれません。
・この上司はメンバーに分け隔てなく、接してくれる。
・会社トップからの指示を組織レベルに落とし込んで、わかりやすく伝えてくれる。
・方針がブレることがなく、やむを得ず変更した場合でも、メンバーが理解できるように、説明責任をきちんと果たしてくれる。
逆に上司を良く思っていない部下は、こんなことを考えているかもしれません。
・メンバーの意見を全く無視して、高圧的に指示をする上司だ。
・失敗やミスを報告した時は、露骨に嫌な顔をするため、声を掛けづらい。
・朝令暮改を繰り返すため、指示通り実行しても振り回され続けていて、正直やってられない。
それでは、上司から部下へはどうでしょうか。
・指示後、要所で進捗状況を報告してくるので、いざという時に軌道修正がしやすく、事前に効果的な対応が可能なため助かる。
・ミスも含めきちんと報告してくれるので、信頼できる部下だ。
逆の場合はどうでしょうか。
・一から十まで全てこちらでお膳立てをしないと自ら動かない困った部下だ。
・毎回、自分の勝手な判断で顧客やメンバーに迷惑を掛けてしまう困った部下だ。
このように、どちらの立場であっても、次のように思ってしまうことが多いのではないでしょうか。
「もっとこうしてくれたらいいのに。」
「何故、いつまでたってもこんな風にしかできないのか。」
「どうしたら、ちゃんとやってくれるのだろうか。」
他人に自分の考えた通りに動いてもらうことは、とてつもなく難しいものであることは、誰しもが感じていることだと思います。
そもそも、自分の考えているように人を動かすことなんてできるのでしょうか。
その答えの一つとして紹介したいのが、人生訓がちりばめられた自己啓発の古典と言われる、デール・カーネギーの「人を動かす」という本です。
この本は、人とどう関わり合うべきか、さまざまな世界の著名人や一般人を登場させ、示唆に富むたくさんのエピソードを掲載しているのです。
特にインパクトのあったのは、冒頭部分の、殺人者が自分のことをどう考えているのかというくだりです。
銃で人を簡単に殺してしまうような悪人でも、自分みたいな善人はいない、世間が誤解している、これまで社会に貢献してきた人物であると本気で思っているのだと言うのです。
そう思い込んでいる人に、いや違う、お前は悪い奴だ、と言っても改心させることなんてできる訳がない。
ましてや普通の人に、あなたの考え方は間違っている、だからこれからはこうするようにしなさい、と言って素直に言うことに従うだろうかと言うのです。
カーネギーは、人を動かすには、次の3つの原則があると説きます。
1.批判も非難もしない
2.素直で誠実な評価を与える
3.強い欲求を起こさせる
1について、カーネギーは、次のような面白い言い回しをしています。
「死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評さえしていればいい。その批評が当たっているほど、効果はてきめんだ。」
「人は偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するものである。」
「人を批評したり、非難したり、小言を言ったりすることは、どんな馬鹿者にもできる。」
2は、相手に重要感を持たせることが大切であると言います。
相手の名前を覚え、相手を名前で呼びかけることだけでも、相手に重要感を持たせることにつながるのです。
「我々は自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せるものである。」
「どんな誉め言葉に惑わされない人間でも、自分の言葉に心を奪われた聞き手には惑わされる。」
3は、人間の行為は何かを欲しがることから生まれるのだと考え、相手が望むことは何か、この人なら本当はどうしたいだろうかということを考えることが大切であると言います。
この強い欲求を「渇望」と表現しているところが秀逸でした。
もうのどが渇いて乾いて、欲しくてしょうがない状態になるからこそ、人は動くのです。
上記のようなことは、上司・部下を問わずに、普段からの心掛けで実行できることです。
この三原則に共通して言えることは、常に相手のことを理解しようと努め、相手を受け入れようとする真摯さです。
そのことについて、端的に表現している言葉で締めくくりたいと思います。
「理解と寛容は、優れた品格と克己心を備えた人にして初めて持ちうる徳である。」