2016年に公開された新海誠監督の大ヒット映画「君の名は。」
映画を見たことのない方でも、このタイトルを聞いたことのある方は非常に多いのではないでしょうか。
実は、私はあれだけ世間で話題になっているにもかかわらず、映画で見ていませんし、DVDも借りませんでした。
話題になり過ぎてしまうと、私の少し素直でない性格が影響するのでしょうか、「みんなするから自分もするというような主体性のない行動はしない。」という思いから、全く触れずじまいでした。
お正月に地上波で放送されていたのをビデオに録画しましたが、それもしばらく見ることはなかったのです。
ある日、他に何もすることがない週末を迎えた時、ちょっと見てもいいかなと思い立ち、見ることになりました。
それが今から1年ぐらい前のことでした。
見終わった感想は、このようなものでした。
無駄なパートがなく、1時間52分の時間にギュッと凝縮されている。
盛り上げ方が上手く、音と映像が高次元で融合し、エンターテインメントとしてハイレベルである。
老若男女問わず、それぞれの価値観に響くものがある。
もっと早く見ておけば良かった。(笑)
なぜ、2年以上も経過した今にこの話題をと思われるかもしれません。
実は、私の子供が進研ゼミの通信教育のチャレンジタッチをやっており、会員特典として、いくつかの本を無料でプレゼントというものがあったのです。
新海誠監督が書かれた「小説君の名は。」と又吉直樹さんの「火花」を一緒に申し込みました。
それをつい最近読み終えたのです。
この小説は、時間の関係上映画で省略されたセリフやその時の感情を丁寧に表現されており、理解が深まるよう、映画を補完する役割を果たしています。
ご覧になられた方しかわからないと思いますが、瀧と三葉という男女の主人公が時空を超えてお互いを知り、運命に導かれるように大切なものを守るためそれぞれ懸命に行動を起こすというお話でした。
この映画のプロデューサーである川村元気さんという方が、この小説の最後に解説をされていた内容に私は惹かれました。
「本作の中で瀧は自問している。人は不思議な生き物だ。大切なことを忘れ、どうでもいいことばかり覚えている。」
「メモリーカードのように、必要なものを残し、不必要なものだけを消すようにできていない。」
「この小説を読んで、少しだけわかった気がする。」
「ひとは大切なことを忘れていく。けれども、それに抗おうともがくことで生を獲得するのだ。」
カタワレ時といわれる夕刻に、お互い出会い、すぐに見えなくなってしまうというシーンで、主人公の瀧は、つい先程まで記憶に合ったはずの、名前や大切な出来事が急速に失われていく感覚を覚えるのです。
この時彼はこう強く決心します。
「この先に残るのは、寂しさという感情だけであろう。」
「世界がこれほどまでに酷い場所ならば、俺はこの寂しさだけを携えて、それでも全身全霊で生き続けて見せる。」
「この感情だけでもがき続けてみせる。」
この場面は、瀧の一番強い想いが伝わってくるシーンです。
さて、私の前の上司は、子供の頃から勉強好きで、古典などの本を読むのが好きな方でした。
その方からいろんな本や偉人を紹介していただけましたし、読書を習慣化していない私に、インプット・アウトップットの大切さを教えてくださいました。
そこで、毎日たくさんの大切な言葉をいただきました。
ただ、自分とって大切なはずの言葉がその時理解できずに、聞き流している可能性もあるのです。
人は普段の生活や仕事などに追われると、本当に大切な事を見失いがちになります。
意識してそれに抗うことを、自分なりのやり方で試してみることも必要ではないでしょうか。
ですから、今は特に大切でないと思うような事でも、インスピレーションに引っかかるものがあれば、思い返せるよう工夫して、抗ってみる。
生きるということは、いろんな障害に抗いながら、自分にとって大切なものを探す旅のようなものではないか、「小説君の名は。」を読んで、そんな事を改めて感じた次第です。