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第39号 人生における様々な最後を噛みしめておく

 

私には、一番下に小学生の三男がいます。

 

三男は昔から一人でいるのがさみしいようで、少し買い物に外に行くだけでも、お留守番は嫌だと言い、決まって付いてくるのです。

 

すごく手のかかる子供で、自分にとって望まないことが起こると、すぐに不機嫌になって、ギヤーギャー言うのです。

 

いくつか習い事をさせているのですが、一部の先生からは、注意を一回で聞かない、私語が多い、集中できない、などお叱りを受けることが度々あり、しかも同じ先生に数年間ず~ぅと言われ続けるかなりの強者なんです。

 

今年の夏に上高地の徳澤園に行った時に、足が痛くてギャーギャー言いながら歩いていたのも三男です。

 

一方次男は中学生になり、部活動が忙しく、土日祝全て1日中テニスに占められています。

 

以前はお風呂の中で、しりとりゲームや創作クイズをしたりして、楽しんでいた時期もありましたが、もう一緒に入ることもなくなりました。

 

最近は、一丁前に父親に向かって生意気な口を利くようになりました。

 

「もう部長くらいなっているんやね?」

 

「貧乏ゆすりしないで!」

 

良きにつけ悪しきにつけ、いろんな情報を自から取るようになっています。

 

私が読んでいる本も、気が向いたら読もうとします。

 

最近、次男が読んだ本です。

 

「吉野源三郎著 君たちはどう生きるか」

 

「山田真哉著 問題です。2000円の弁当を3秒で「安い!」と思わせなさい」

 

「西野亮廣著 革命のファンファーレ」

 

本当は読んでどう活かすかということが問われるべきところなんでしょうが、中学生になったばかりで、それを問うのは少しかわいそう気もします。

 

手に取って読むだけでも褒めてやらないといけないのかもしれません。

 

私の中学生の頃は、小学生から読み続けていた江戸川乱歩の少年探偵団以来、さっぱり読書習慣がなくなっていました。

 

その当時は、専ら少年ジャンプやマガジンでした(汗)

 

それはさておき、先日三男から「サッカーやろう!」「将棋やろう」と何度も言われたのです。

 

その日は所用で時間が取れませんでした。

 

次男も当時よく私に「〇〇しよう」と何かにつけ誘っていたことを思い出します。

 

初めからわかっていたことなんですが、改めて理解できました。

 

いずれ三男も同じ道をたどるであろうと。

 

であれば、今回が正真正銘の最後の機会。

 

忙しいからとか何やらで、うやむやにすることは自ら後悔を招く事になると思います。

 

そんなことが頭に巡りながら、次の土曜日に約束しました。

 

これまではほとんど意識しなかった、自分の人生における様々な「最後」。

 

これを強く意識すれば、その出来事が常に替え難い大切な瞬間になり、その連鎖が実りある人生につながるのではないか、そう思えてならないのです。