ノートルダム清心学園の理事長をされていた渡辺和子さんの著書で「置かれた場所で咲きなさい」という本を随分前に読んだことがあります。
本としては薄く、読みやすい。
しかし、名言と言われる文章があちらこちらにちりばめられている本であるという印象を持っていました。
「なぜ私はここに居るのだろうか」
「こんな仕事はおもしろくない、嫌だ」
「ここでどんなに努力しても浮かばれない」
そんなことをつぶやく人たちに向けて渡辺さんは語ります。
「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」
「どんなところでも花を咲かせる心を持ち続けよう」
悲観的にならずに現状を受け止め、今ここで自分ができることは一体何なのか、今為すべきことは何なのか、そこでひたむきに取り組み続ければ、いつか大きな花が咲くことでしょうという風に私は解釈しました。
隣の芝生は青く見えるという諺があります。
周りの人の事ばかり気にして、肝心の自分を見失ってしまう。
周囲に惑わされず、今、自分の目の前にある課題にきちんと向き合いましょう。
確かにそれはそうだと思います。
一方で、元ユニバーサルスタジオジャパン執行役員、現マーケティングノウハウカンパニー刀CEO森岡毅さんは、こう言われます。
人間は誰しも個性があって、結局、個人も企業も向いていないことをやるのが一番よくない、自分の強みが世の中にとってどんな前向きな意味があるかを考えよ。
人の評価というものは、置かれた場所によって決まる。
どちらも、「置かれた場所」という表現をしています。
サラリーマンであれば、その会社または所属部署ということになるでしょうか。
長い年月にわたり会社を務められ、いろんなグループ会社や部署に異動されている会社員の方であれば、上司が違えば、評価は全く違うことが起こります。
そうであれば、今の場所に留まりガンバリ続けるのか、それとも新天地でチャレンジするのか、どうするのが良いのでしょうか。
このお二人の言葉は、一見逆のことを主張しているように思えます。
しかしながら、本質は自分自身に真摯に向き合うことなんだと思います。
つまり、置かれた場所が、自分にとって本当に大切な場所であるかどうかではないでしょうか。
でもそれは最後になってみないと、わからないかもしれません。
今ある場所で踏みとどまって、目が出るまでひたむきに努力するもよし、自分の居場所はここでなはいと感じ、新天地で努力するもよし、要は他人がどうのこうのではなく(賢人が本で書いていることをそのまま取り入れようとするのではなく)、自分が成し遂げたいことは何であるか、自分はどうありたいのかを真剣に考え、自分で選択することが大切なのではないかと思うのです。
ですから、どちらが良い悪いということではなく、自分の成長に繋がる選択をすることができるように、常に自分自身に問い掛けることが必要ではないでしょうか。
ベストセラー「LIFE SHIFT」の著者リンダ・グラットン教授の言葉を借りるなら、
主体的な選択を行うためには、これまでより深く内省し、自分の選択がもたらす結果を受け入れる覚悟が必要であるのではないか。
自分自身が選択した結果に責任を持つこと。
厳しい言葉が、人生を実りあるものにするような気がしてなりません。