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第15号 息をしているのは「生きていること」にならない、「死んでいない」ということにすぎないのだ

 

少し前の話になりますが、昔、短い期間でしたが、仕事をご一緒にさせていただいた先輩がおられました。

 

とある事から、数年ぶりに私から電話をすることになりました。

 

「久しぶりですね」の後、私が今何処で、どんな仕事をしているか、伝えました。

 

「あ〜、大変そうやね、でも、頑張ってね」

 

その後、たわいもない話をしてから、「ところで、先輩は今何をされているんですか?」と私が尋ねた時、その方が言われたのが、「息」という短い言葉でした。

 

「何をしているのか」と尋ねたら、今、息をしていると、返されたのです。

 

その先輩の背景をお伝えしていないので、これを聞いても「だから何?」と言われるかもしれませんね。

 

でも、私は、「何を言ってるんですか」という返しもできませんでした。

 

明らかに、その先輩は、自分らしい働きが全くできていない、悶々とした思いで今仕事をしていると、感じたんです。

 

何をしているのか?

 

息をしている。

 

それは、私もしている。

 

そんな当たり前のことを、なぜ今言う必要があるのか。

 

つまり、今息しかしていない、他に何もしていないということではないか。

 

ひょっとしたら、ちょっとした受け狙いで言われたのかもしれない。

 

しかし、私にはそうは思えない。

 

 私には好きな言葉があります。

 

「生きているのと、死んでいないのは違う」

 

これは、人材コンサルティング会社ワイキューブの代表であった安田佳生さんの著書「私、社長ではなくなりました。ワイキューブとの7435日」で記された言葉です。

 

この本には、奇をてらった経営が仇となり、倒産に追い込まれた記録が生々しく綴られています。

 

 

「私、社長ではなくなりました。ワイキューブとの7435日」

 

安田さんには、賛否がありますが、私は「千円札を拾うな」を読んだ時から、ずっとファンです。

 

この本を出張で飛行機の中で読んでいましたが、ある言葉に感動して、目をウルウルさせて読んでいた記憶があります。

 

感動したこの本を部下に回し読みさせて、返ってきた言葉が、「〇〇さん(私)がいつも言われることが、この本を読んでようやく理解できました。」でした。

 

また、新入社員にもこの本を回し読みさせました。

 

結局、どこかで途切れて私のところには戻ってきませんでしたが(笑)

 

私にとって、記憶に残る経営者なんです。

     

「千円札を拾うな」

 

ワイキューブとの7435日を読んだ時は、この人、本当に無茶苦茶だ、と思いましたが、でも私は好きなんです。

 

彼はこう言います。

 

 

波風立てずに秩序を保って生きていれば、誰もあなたの呼吸を止めはしない。

 

そうすれば息はできる。

 

呼吸をしているという意味では、生きているといえるのかもしれない。

 

けれども、私にとってそれは「生きている」ことにはならない。

 

ただ「死んでいない」ということにすぎないのだ。

 

 

先輩から、今、息をしていると聞いた時に、冗談で返せなかったのは、安田さんの言葉をきっと思い出したからなんだと思うんです。