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第10号 「ハイパーハードボイルドグルメリポート」から幸せとは何かを考える

 

突然ですが、テレビ東京系列の「ハイパーハードボイルドグルメリポート」という番組をご覧になられたことはありますか。

 

かなりレアな環境に置かれている人やその家族の食事はどんなものかを、日本のスタッフが危険を顧みずに海外でリポートする映像を見て、タレントの小藪和豊さんがちょいちょいコメントするというドキュメンタリー番組です。

 

興味があって、これまで何回か視聴していましたが、最近見た中で、「これは考えさせられた」という放送回がありましたので、ご紹介したいと思います。

 

ネパール最大の火葬場周辺で物乞いを主な生業として暮らす家族の食事にスポットが当てられました。

 

ヒンドゥー教は、死んで火葬された後、遺灰をガンジス川などの神聖な川に流すことで、理想の死を迎えられるという教えがあるそうです。

 

ネパールはいまだにカースト制度の名残があり、上流階級である王族、政治家、軍人などは、火葬場が一般人とは異なり、下流階級と比較して豪華な葬儀になるといいます。

 

そこに1人の少女がその上流階級の火葬場前の川の中で、ひもに何かを付けて遊んでいる。

 

実は、上流階級の火葬後の遺灰の中にあるかもしれない金歯や小銭などを磁石で引き寄せて、生活費を稼ごうとしていたのです。

 

しかし、その時は、4時間ほど探しても収穫はゼロであり、徒労に終わってしまったのです。

 

聞けば、父親は地震で家を失い、また視力を失い、職に付けず、物乞いをして生活をしている状態。

 

その家族はほとんどが女性、全員で8人、物乞いと金拾いで月1万円の世帯収入。

 

そのため、その日の晩御飯は、1人1食20円の草カレー

 

この家族には大変申し訳ないですが、これを今自分の目の前に出されたら、食べることができるか正直自信がないくらいのものに映りました。

 

食事中、家族へ今の暮らしについてどう感じるかスタッフが問い掛けると、

 

「本当は故郷に帰りたいが、両親と一緒にいたいから、今はここに居る」

 

「物乞いしてでも、生きていけるからそれはそれで楽しい」

 

と語られます。

 

すると、一番下の小さな女の子に、スタッフが問い掛けます。

 

手でその草カレーを掴み、頬張る顔が何とも愛くるしい、美味しそうな表情で食べている彼女に対して、

 

「今、欲しいものは?」とその子供にスタッフが問い掛けると、その少女が答えた一言が衝撃的でした。

 

「弟」

 

8人家族でどう見ても衛生環境が良いとは言えない狭い部屋で、食事も十分に取れるかわからない状況であるにもかかわらず、ここからさらにもう一人の家族が欲しいと言うのです。

 

現状、日本の少子化問題を考えた時、将来が不安だから、子供は何人も産めない、育てる自信がない、こんな声が聞こえてくる中で、この言葉は私に何かを突き付けてきたような感覚を覚えたのです。

 

小藪さんは、最後に次のようなコメントをされていました。

 

「これを見て可哀想というのは日本人の感覚、本当に自分は幸せなのか、自分の子供は果たして幸せなんだろうか、考えさせられる」

 

普通とは何か、幸せとは何か。

 

この子はこうした環境で、何とか生きながらえて、少しずつ成長している。

 

私の感覚でいけば、「これ以上食扶持が増えれば、自分の分が減ってしまい、ケンカが起こり、生命の危機を感じるかもしれない、これ以上家族が増えるなんてとても考えられない」です。

 

しかしながら、この状況下で、今何が欲しいと聞かれ、弟が欲しいと答えられるのは、この少女は今幸せを感じているんだ、そう思ったのです。

 

私はこのブログを「自分なりの幸せを見つけるお手伝いをする学びの情報発信ブログです。」と宣言しています。

 

この自分なりの幸せとは何を指すのか。

 

これを深く問う言葉だったと思うのです。

 

「年収が高くや地位があれば、良い暮らしができて、ステータスに満足して、幸せになれるかもしれない」

 

 「子供や伴侶がいれば、幸せかもしれない」

 

 これは、どこかで見聞きした周りの誰かの幸せの基準ではないのか。

 

もし異国の誰かが私の人生を見たら、次のように思われるかもしれない。

 

「なんて幸せな暮らしをしているんだ、羨ましい」

 

「そんな人生にあなたは本当に満足しているの?」

 

「可哀想に・・・」

 

間違いなく幸せとは、他人の物差しで測るものでなく、一生かけて自分が探し続けていくものである。

 

私もそれを言葉にして、本当にそう思えるか、自らに問い続けたい、そう強く感じたのでした。