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第3号 学びは至る所にある、時には我が子からも

 

私には現在、小学生の息子が居るのですが、勉強は苦手なようでして、習い事をいくつかさせています。

 

その内のひとつがピアノです。

 

先日、私の息子を含めたピアノ教室の生徒数人が集合して、保護者を呼んで本当に小規模なミニコンサートが催されました。

 

先生と生徒で一緒に弾いて合奏をしたり、生徒のソロ、先生のソロ、お茶をしたり、楽しいひと時でした。

 

先生は指導歴約30年のベテラン。

 

先生が演奏されるのを今回初めて聴かせていただきました。

 

子供と較べたら当たり前かもしれませんが、同じピアノからの音色とは思えないくらい、優雅で、伸びやかで、広がりがある演奏をされていました。

 

素人の私が何回も、目を閉じて聴き入ってしまうくらいでした。

 

一方、息子は何とか無難に自身のパートはこなしていたようです。

 

これまで先生の厳しい指導もあって、何回か正装をして、コンサートホールで発表会に出させていただいたこともありました。

 

今回のミニコンサートで息子の演奏を聴きながら、数年前にあった発表会で起こった息子の事を思い出していました。

 

年1回ある発表会への参加でした。

 

発表会が近づいて来ると、はやり息子も失敗はしたくないようで、いつもよりも多く一人で練習していました。

 

聴いていても、まあまあ上手く弾けているんじゃないかと私は思っていました。

 

そして当日。

 

その時、演奏者は2題、続けて演奏することになっていました。

 

息子は、1題目を無難にこなして、2題目の半分を過ぎたところで、突如詰まってしまったのです。

 

少し前に戻って、弾き直したのですが、またいつものところで詰まる。

 

もう一回、そしてもう一回、さらにもう一回、そしてとうとう、手が止まってしまったのです。

 

先程まで、順調に進んでいたのに、何が起こったのか、全く前に進まなくなったのです。

 

私はビデオカメラを息子に向けながら、がんばれ、がんばれと、心でエールを贈っていました。

 

しかし、数回チャレンジしていたのですが、とうとう手が出なくなってしまったのです。

 

そして沈黙がどれくらい続いたのでしょうか。

 

正確に時間を計っていないので、わかりませんが、もう何もせず1分くらい経過したところでしたでしょうか。

 

正直、何もせずの1分の沈黙は、想像以上にとてつもなく長い時間です。

 

こうなると、私は心の中でさっきとは違うメッセージを送っていました。

 

私はその沈黙に耐え切れずに、「もういい、ここまでよくやった、イスから降りて、一礼をして舞台のそでに行きなさい。」と。

 

実は私も小学生低学年の時期、少しだけピアノを習っていて、1回だけ発表会に参加した経験がありました。

 

もし自分が息子なら、間違いなく中断して、自ら降りたと思います。

 

でも息子はまだ自分から演奏を中断しようとはしていない。

 

もういい、もういい、と私がつぶやいていた時に、観客席後方におられた審査員のお一人が、「一番最初に戻って、弾き直してみましょう」と、穏やかにアドバイスをされました。

 

息子はそれに従って、一番最初から弾き始めました。

 

どうなるんだろうと、内心ドキドキしていましたが、今度は詰まりそうになりかける前に、立て直すことができ、最後までやり切りました。

 

演奏者は全員、審査員に点数を付けられるのですが、こんな失態があったにもかかわらず、演奏が力強かったと息子は高評価をもらっていました。

 

なかなか、気まぐれで、普段から手の掛かる我が子ですが、今回は最後まで良く頑張ったと、褒めてやりました。

 

ところで、私はその一日をその日に振り返っていました。

 

私が息子に贈るメッセージを変えたのは、どうしてなのか。

 

「がんばれ」から「もういい」に変わってしまったわけとは。

 

結局私は、息子の気持ちを横にやり、周りのオーディエンスの気持ちを勝手に想像し、メッセージを変えてしまったのです。

 

「いつまでじっとしていんだよ!」「終わらないじゃないか!」「親が止めてやれよ!」

 

しかし、彼は自ら幕を下ろそうとはしたくなかった、それをその時に理解できなかった親としての不甲斐なさに、正直へこんでしました。

 

「終わった。終わった。」と息子のあっけらかんとした態度が唯一の救いだったように思います。

 

大人の自分から見ると、子供だから劣っているところばかりだと思ってしまう、そんな傲慢さが自分にはありました。

 

けれども、大人の自分をはるかに凌駕する、ここぞという時に踏ん張れる、強いハートを知らず知らずに持ち合わせている。

 

そんな子供の成長を垣間見て、親として本当に誇らしい、自分が至らないところを子供から教えてもらうことはあるんだ、と実感した1日だったのです。